長崎の味

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夜の長崎の街

本日のブログのタイトルは、保育社のカラーブックス風にしました。
今年の3月、古書通信の取材のために長崎に行くのと、佐賀に本家のある古賀家の法事などで用事が重なり、少し長めの久しぶりの九州への旅となりました。前回、九州に行ったのは2011年3月で、やはりこのときも法事のためでした。
九州在住のモダン・クラシックのお客さまから以前より、長崎に良い古本屋さんがあるからぜひ行ってみてとの情報を何度か頂戴し、この度ようやく実現できる運びとなったのでした。
初日は、「長崎ランタンフェスティバル」の最終日だったので、夜の街は人出が多く賑やかでした。まずは本場の長崎ちゃんぽんを食べようとお店を探して歩きましたが、お祭のためにどのお店も混んでいて入れませんでした。その後タクシーに乗り込み、中心地から外れたところにある「四海樓」へ場所を移し、お店の窓から長崎の美しい夜景を見て、念願の本場長崎ちゃんぽんを食しました。

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店主が注文したAコープレストランのトルコライス。肝心の長崎ちゃんぽんの写真を撮り忘れました。

翌日、長崎古書組合の取材と入札会がありました。入札会終了後、会場近くにある「Aコープレストラン」で長崎古書組合の皆さまと昼食をとることになり、太郎舎さんの車に同乗させていただき、お店へ行きました。店名といい、店構えといい、わたし好みの懐かしい70年代っぽい雰囲気にワクワクしました。こういうドライブイン風のレストランって、一昔前はどこの街にもあったように思いますが、我が家の近くにもAコープレストランがあってくれたらしょっちゅう行けるのに・・・と思いました。九州地方だけのお店のようです。皆さんと違って、私だけここでも長崎ちゃんぽんを注文しましたが、いままで食べてきた長崎ちゃんぽんの中でダントツ一位の美味しさです。しかも、餃子とご飯も付いていて安かったです。

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この写真は、確か、鍛治屋町あたりにあった鰻屋さんで食べました。

さらにその翌日、「大正堂書店」さんの取材に伺う前に、近くにあった「珈琲 冨士男」という喫茶店に入りましたが、このお店の卵サンドイッチとコーヒーの美味しかったこと。。。あまりの美味しさに同じものを追加注文しようと思いましたが、お客さんが次から次へと入店されるので、すぐに会計を済ませました。これだけ美味しければお客さんが途切れないのも納得です。

今回は駆け足のような長崎の旅でしたが、いつかまた時間ができたら、次はゆっくりと長崎の旅を楽しみたいと店主と話しています。太郎舎さんには行きも帰りも長時間にわたり車に乗せていただき、また取材中、お宅でも子どものお昼寝をさせていただきまして、本当にお世話になりました。

日本古書通信 2015年6月号

『日本古書通信』の最新号が出ましたので告知を。 今回の私の連載「21世紀古書店の肖像」vol. 53は長崎の古書五合庵さんです。 神田の三省堂では店頭に並んでおります。あとAmazonでも購入できますし、古通さんで定期購読もオススメです。 どうぞよろしくお願いいたしますm(_ _)m

詳しくは本文を読んで頂くとして、そこで書けなかった小ネタを少々。
いろんな古書店さんを取材して、ある人が数ある仕事の中から「古本屋になる」のには大きく分けて三つのパターンがあるようです。

  1. 大学(or高校)卒業後フラフラして偶然古本屋でバイトしてそのまま古本屋になってしまう。
  2. 就職して堅気の生活を歩むも脱サラして古本屋になってしまう。
  3. 就職して堅気の仕事を勤め上げ、定年後「第二の人生」として古本屋になる。

私は①ですが、古書五合庵さんは③のパターン。そして私の知る限り、③のパターンの方は相当な古本好きが多い。
五合庵さんは東京で国税関係の仕事をされて、定年後故郷の長崎に戻り自宅の一角で古本屋を開業された。他で③のパターンで知っているのは豪徳寺のリブロニワースさん。三年ほど前に取材させて頂いたが、リブロニワースこと佐藤さんは長く大学で教職に就かれていて、インド経済史の分野ではかなり有名な方。佐藤さんは定年間際に辞められて、現在は夫婦でネット専門の古書店をされている。
お二人とも在職中は暇さえあれば古書店や即売店通いをした相当な古書マニア。趣味が高じて定年後古本屋になってしまうのだから、その情熱たるや凄まじい。実際に話を伺って、このお二方の古書収集家っぷり、あるいは書痴というべきか?古本集めに対するパッションには舌を巻いた記憶がある。

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自称「日本一狭い古書店」。自宅の一部の二坪の古書店「古書五合庵」。

さて五合庵さん。五合庵さんも国税関係という堅い仕事を勤めながら、土日の休みは古書店や即売店巡りに明け暮れていたそうだ。そして驚いたのは、そうして長年かけて集めた数万冊の本の、実に九十九パーセントは読まずに棚に飾っていたそうだ。私が驚いて「買った本を読まないんですか?」と聞くと、ちょっと機嫌を損ねたような表情で「読みません」と言う。私が曖昧に頷くと、畳み掛けるように「本を読んでたら本は集まりませんよ」と仰る。「とにかく古本を集めるのが好きなんです。」と五合庵さん。こういう方にこれまで会ったことがなかったが、五合庵さんのような方を本当の「古書収集家」と言うのだろうか、と心底驚いた。なんでも、毎年「万葉集」とか自分でテーマを決めて、それに関連する本を調べ上げ、いろんな古書店を回って本を集めたりしていたそうだ。しかも、買うだけで読まない。集めるために集める。「本は読むためのもの」と私は疑わずに信じていたが、五合庵さんクラスの古書収集家になると、本はただ「集めるためのもの」であって「読むもの」ではないらしい・・・。読まずに集めるってそんなに楽しいか?いや、自分も買った本の半分以上は読んでない・・・買ったことで満足して、棚に並べて時々眺めてはニヤニヤしてる自分がいる・・・あれ?もしかして自分も「本を集めること」が主で「読むこと」は従なのでは?・・「いずれ読む」はただの言い訳ではないか???

達観仕切った表情で「本は読みませんよ。ただ集めるんです。」と言い切る五合庵さんの静かな佇まいが今も瞼の裏に焼き付いている。何やら私は、古本道の深淵を覗いた気がしたのでした。

古本街道をゆく五「長崎古書組合市会」

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黒板に名前を書いてお出迎え。名前が「太郎」になってるのもご愛嬌(笑

長崎県諫早市内の某所。三月に日本古書通信(以下古通)で行った長崎取材旅行は、ちょうど長崎古書組合の市会と重なっていた。ふるほん太郎舎さんから「市会覗いてみない?」との誘いもあり、また古通編集部より「写真撮ってきて」の指令もありで、ご迷惑も省みずノコノコ覗いてきた。

市会とは古書組合が運営する古本の市場で、組合員が古本を売ったり買ったりする業者市だ。東京のように週五日開催するところもあれば、長崎のように月一回、中には二・三ヶ月に一回という所もある。昔のように、お客さんが本を売る場合に「古本屋に持ち込む」以外の選択肢がなかった時代と違い、今はネットオークションや大手新古書店など「本を売る手段」に事欠かない時代だ。最近ではAmazonが買い取りを始めるというニュースもあった。だから当然、組合の市会に流れ込む本の量も年々減少傾向にある。
だがお客さんにとって「本を売る手段」が増えたということは、古本屋にとって「本を買う手段」が増えたということでもある。私などは根が楽天的なので、古本屋にとって「本を買う手段」が増えた現代を肯定的に捉えている。その気になれば海外からネットを通じて簡単に本を仕入れることもできるのだから、最高ではないか?

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「振り」では合いの手も入って賑やかな長崎の市会。

そして強調しておきたいのは、他にはない「組合の市会」の強みがあることだ。
古本屋というものになって、膨大な本の大海の一端を知り、つくづく思ったことがある。それは「インターネットで検索しても出てこないイイ本(or 紙の資料)はたくさんある」ことだ。
今はインターネット万能の時代で、IT企業の広告の出稿料を上げてやるために、個人がソーシャル・ネットワークで嬉々として自分のプライバシーを公開するような特異な時代である。だからネットで検索して出てこないものは存在しないも同然だし、価値あるものはすべてネットにあると考えてしまいがちだ。いずれはそうなるかもしれない。でも今の時点では、「価値ある本がすべてネットにある」と考えるのは間違いだ。

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長崎のあーる書房さん。イイ表情です。

たとえばブックオフでもAmazonでも、買い取りの中心はバーコードの付いた本であるだろう。日本の本にバーコード(ISBN=国際標準図書番号)が付いたのは一九八一年以降だから、それ以前の本は二束三文で買い叩かれるか買い取り不可となるだろう。
だが神田の市会を覗けば、バーコードが付いた本はむしろ雑本扱いで、業者が目を皿のようにして見ているものはバーコードが付いていない本、もしくは資料である。また月の輪さんや石神井さんの古書目録を見れば、ネットで検索しても出てこない本や資料ばかりである。そして数十万、ときには億の値がつく逸品は、バーコードの付いていない、つまり日本最古の印刷物とされる「百万塔陀羅尼経」から一九七十年代までのものなのだ。そしてこの「バーコードが付いていない」本や資料に強いのは、今でも組合の市会だと私は思っている。

話が長くなったのでここらで切るが、最後に長崎の市会で知り合った佐賀の西海洞書店さんのブログを紹介したい。古本という大海の一端を知るのに打って付けのブログである。
◼︎ 西海洞書店〜落穂拾遺譚

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長崎の市会の出品物の一部。

古本街道をゆく三「長崎・ふるほん太郎舎(後編)」

さて今回も引き続き長崎のふるほん太郎舎さん。前回の投稿と合わせてお読みいただきたい。

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八万冊のネット在庫が収まる太郎舎さんの倉庫の一部

太郎舎さんから伺ったエピソードで、とても心に残った話を、備忘のためにここに記しておく。
それは文芸評論家で、二〇十一年に亡くなられた故谷沢永一が、阪神・淡路大震災で被災した時の話。蔵書家として有名な谷沢は、自宅の書庫に十六万冊(!)もの蔵書を収めていた。だが大震災で被災し、書庫は滅茶苦茶になってしまった。もはや回復不可能なまでに散乱した書庫の惨状を見て谷沢は
「或る本が書庫のどこかにある筈だ、というていたらくでは持っていないに等しい。蔵書のイノチは分類である」
と断じて、すべての蔵書を処分したという。
このエピソードに続けて、太郎舎さんはこう語った。
「本は分類が命で、秩序を失った本に価値はない。この話は、古本屋として考えさせられるよね。
今は本の価値がどんどん下がっている時代。ウチで扱う本も、市場で一山ナンボで落としたものばかり。そんな本も、丁寧に分類し、秩序を与えてネットにアップすれば、全国のどこかから注文が来て、また売れていく。結局古本屋の仕事って、本に秩序を与えることなんじゃないかな」。
長崎大学前で三十年古本屋を経営し、二〇十一年からネット販売専門になった太郎舎さん。従業員は雇わず、奥さんと二人で打ち込んだ在庫の数はおよそ八万冊。その秩序付けられた、膨大な古本の倉庫で太郎舎さんが語ったこの言葉に、私は感じ入ってしまった・・・。

取材を終え、私と家族が泊まる長崎市内のホテルまで、太郎舎さんが車で送ってくれることになった。二時間弱の取材の間にも本の注文がたまっていたらしく、倉庫で一抱えほどの本を抜き取り、配送処理をする太郎舎さん。帰りの車の中で、話は自然と家族のことに及んだ。そこで太郎舎さんの奥さんに関する、とても面白い話を伺った。

注文品を抜き出し中の太郎舎さん

太郎舎さんの奥さんは、日系ブラジル人である。だが時々お茶菓子などを出しに来るその人は、「ブラジル」という言葉の印象とは程遠い、純和風の、控えめな、可愛い感じのする方だった。
実はこの奥さん、不覚にも名前を聞きそびれたが、「今村」出身なのである。
「今村」でピンとくる方はかなりの歴史マニアだ。
今村。正確には「福岡県三井郡大刀洗町大字今」。福岡では珍しい隠れキリシタン(切支丹)の村である。
私の両親は佐賀県鳥栖市の生まれだが、今村の存在は知っていた。筑後平野の田園風景のど真ん中に、突如ロマネスク様式のカトリック教会がそびえ立つことで、付近では有名だ。その教会は今村教会堂といい、県の有形指定文化財である。竣工は大正二年。設計は明治から昭和にかけて、数々の教会堂の建築に携わった鉄川与助である。

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Googleマップで見る今村教会堂

隠れキリシタンは長崎が有名だが、正確には日本各地に存在した。大阪や兵庫、東北の岩手にも隠れキリシタンの里はあった。福岡の今村もその一つだ。そして今村のように、平野部のど真ん中で、二百戸ものキリシタンが二百八十年以上存続した例は世界的にも珍しい。当然、秀吉以来の我が国のキリスト教禁制下では、彼らは異教徒であり、異端の村として周囲から忌み嫌われた。明治になってキリスト教の禁令は解除されるが、その後も長く差別は残り、昭和になっても今村には食べ物屋や商店など一軒もなかったという。済州島の人々が日本に渡り、コルシカ島の者がアメリカに渡ったように、差別を受ける地域の人々が海外に新天地を求める例は少なくない。今村の人々も、根強い差別によって我が国での将来を奪われ、多くの者が明治四十一年から始まる移民としてブラジルへ渡った。当初バラ色を謳われたブラジルへの移住であったが、実際は奴隷労働と大差なく、故郷から遠く離れた地で彼らが過酷な体験をしたことは有名だ。この辺の話は佐藤早苗著の『奇跡の村 隠れキリシタンの里・今村』(河出書房新社)に詳しい。長い余談だが、この今村からブラジルへ移住した子孫の一人が、太郎舎さんの奥さんなのであった。

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ブラジル移民を促す海外興業株式会社のポスター

様々な思いを抱きながら、私の長崎での「古本街道をゆく」旅は続く・・・。

古本街道をゆく二「長崎・ふるほん太郎舎(前編)」