陸奥A子先生のセプテンバー・ストーリー

IMG_5972
りぼん 1978年1月号 《陸奥A子 VS 沢田研二 新春アコガレ対談 掲載》

陸奥A子先生は、あまり表には出てこられない印象がありましたが、現在のお住まいの北九州で昨年、トークイベントがあったようです。そのときの様子について、参加した方の実況がこちらにあり、これまで知らなかった先生のお仕事について非常に興味深く読みました(他の方々の驚きのコメントあり)。
陸奥A子先生のウィキペディアにも記載されていますが、私物の「りぼん 1978年1月号」に、長年の大ファンだったという沢田研二との対談が掲載されています。先生は、漫画に出てくる女の子たちのように清楚でかわいらしい方です。

〝ウック!夢みたい・・・10年間もアコガレ続けていたんです!!
タイガース時代からジュリーの熱烈なファンだったA子ちゃま。長年の念願がかなって、ついにジュリーと会えたのです!〟

上記のように大きくタイトルが掲げられたこの企画。
この「新春アコガレ対談」を見て(読んで)いくと、先生がどれほど沢田研二のファンだったかがよくわかります(笑)振袖姿のかわいい先生の写真がたくさん掲載されていますので、私のように先生のファンの方は、この「りぼん 1978年1月号」を入手されることをおすすめします。

IMG_5980
りぼん 1977年9月号 裏表紙の広告 《だっこちゃんマークのタカラ》

子どもの頃、我が家では姉妹で月刊の『なかよし』と『りぼん』を長い間愛読していて、小学校の前にあった人気文房具店(と言っても、駄菓子・毛糸・雑誌・ふかしたての中華まんなどいろいろ販売していた)では、毎月、りぼんとなかよしの発売日になると、小学生の女子たちがお店に詰め掛けて、業者が納品に来るのを外で待っていたほどでした(笑)業者のおじさんがお店に漫画本を並べるや否や、バーゲン会場のように我先にと漫画本を手に取ったりして、本当に懐かしい思い出です。

IMG_5969
りぼん 1977年9月号 「セプテンバー・ストーリー / 陸奥A子」

そして、今日のブログのタイトルにもある、陸奥A子先生の〝セプテンバー・ストーリー〝という作品。このお話をかれこれ何十年も探し続けてきてようやく見つけることができました。私はずっと思い違いをしていて、この作品は本誌ではなく、付録として入っていた薄い冊子だったのだと長い間思い込んでいて、探すのに時間がかかりましたが、この「りぼん 1977年9月号」本誌の巻頭カラーページに載っていました。

IMG_5970

IMG_5974

麦わら帽子をかぶり小花柄のワンピースを着たロングヘアーの女の子。まさに私の好きな陸奥A子先生の作品を象徴するような女の子。
夏風邪をひいて学校を休んでいる主人公の沙織の家に、クラスメイトの湯川くんが、沙織の好きな〝コーヒー味のアイスクリーム〟を手土産に訪れます。沙織のお母さんが、ガラスの器にコーヒーアイスクリームを盛り付けウエハースを添えて持ってきてくれるのですが、このアイスクリームは当時の高級アイスクリームのレディーボーデンだと思われます。コーヒー味はいまは廃番になっていて、これまで復刻版としては登場したことがありますが、またレギュラーメンバーとして登場してほしいと願っています。

IMG_5978
りぼん 1978年1月号 裏表紙の広告 《グリコ ナッチェル / CM出演:岡田奈々》

それと、お菓子つながりでもうひとつ。
さきほどの陸奥A子先生の対談の載った「りぼん 1978年1月号」の裏表紙のお菓子の広告。これは、私が当時大好きだったお菓子〝グリコ ナッチェル〟です。バタークリームを小麦胚芽いりビスケットでサンドしたお菓子で、岡田奈々がCMに出ていました。これも復刻版としてまた販売してほしいお菓子です。

IMG_5976

こちらは、「キノコ キノコ / みをまこと」という作品。
主人公を含め、登場人物のほとんどがキノコの漫画です。

**********

陸奥A子先生の作品は、大人になってから買い集めた単行本〝りぼんコミックス〟が実家に置いてあり、『こんぺい荘のフランソワ』も大好きな作品です。これからも、思い出の『りぼん』や『なかよし』を少しづつ集めたいと思っています。

深い愛を味わう 修道院のお菓子

IMG_4126

昨年、市場で料理の本を大量に仕入れたとき、上の写真の、大原麗子が表紙を飾る「婦人画報1974年12月号」が落札した料理本の束の中に入っていました。
新品のようにきれいな状態ですが、背表紙に所有者が保管用に貼ったと思われるシールがあり、剥がせないのでお店には置かず、自分の資料としてとっておくことにしました。料理本の束の中に入っていただけのことはあり、洋菓子の特集号でした。お菓子を食べること、お菓子作りが好きな人には大満足の内容だと思います。

まず、〝私の好きなケーキ10種〟と題して、各界著名人がそれぞれお気に入りのケーキを写真付で紹介しています。
帝国ホテル内にある「ガルガンチュワ」のレモンパイが好物なデザイナーの鳥居ユキ。パイひとつにレモン1/5と良質のバターをたっぷり使うのだそうです。いまでも作られているのかはわかりません。私も子供の頃、友人とレモンメレンゲパイを作ったことがあります。大失敗に終わりましたが・・・
他にも、評論家・古波蔵保好の好物「酒の入ったババロア」、クニエダヤスエさんの母の味「バターケーキ」。戦後、闇で入手した玉子・バター・砂糖・メリケン粉に、乾いた実の果物を刻んで洋酒漬けにしたものを混ぜて焼き上げたお母さんの手作りのバターケーキが忘れられないそうです。

IMG_4132
レデンプトリスチン鎌倉修道院製のクッキーとパイ。コーヒー・ココナッツ銀河・フラワー(ミルク味)。レーズン・リーフパイ・ピーナツ・マーブル。カナダ生まれのお菓子は、どれも美味しそうです。

そして、この洋菓子特集の中で、とくに充実しているのが全国各地にある「修道院のお菓子」の記事です。

IMG_4129
スペイン系の修道院のお菓子。〝セスティートス〟という花型のココナッツのお菓子。白いお菓子はスペインでクリスマスに食べるという〝ポルボロン〟。棒状のお菓子は〝カスティーリョ〝という中にカスタードクリームをたっぷり詰められたもの。

当時、修道院で作られるお菓子は、あまりの美味しさに大人気となり、〝幻のお菓子〟と言われるほど、一般にはなかなか回ってこなかったそうです。読んでいると、シスターたちが毎日誠実に心を込めてお菓子を作り上げている様子が伝わってくるのです。美味しいはずです。
そもそも、修道院のお菓子の存在が知れ渡るようになったキッカケは、新宿・京王デパートの常設コーナーに置かれたことによるもので、1960年代後半には20余の修道院が参加していたそうです。
北海道トラピスト修道院のクッキー、愛知県ドミニカン聖ジョセフ修道院のベルギー菓子、岐阜県十字架のイエズス修道女会のキャラメルなど。こうした催事がいまでもあったらいいのに、と思います。

洋菓子特集号の本書、大充実の内容です。
外国人シェフが教えてくれる、チョコレートたっぷりオーストリアのザッハトルテ、くるみとハチミツを入れてヌガー風にしたものをパイ皮で包んだスイスのケーキ「タルト・グリズン」、ハンガリーのケーキの作り方なども掲載されています。
絵本や童話、推理小説にお菓子が登場する本をいろいろ紹介している記事もあり、古本屋としてとても参考になりました。
今年、長い歴史を閉じた神保町の「柏水堂」も載っていますが、写真を見る限り、つい最近のものかと思うほどお店は全く変わっていません。東京・神戸・京都と、たくさんの洋菓子店がそれぞれのお店のお菓子とともに紹介され、あれもこれもと食べたくなってしまいます。

幻のロシアケーキ

写真は、福岡のロシア料理店「ツンドラ」で購入したマトリョーシカです。買い集めたくなりました。

実家から少し離れた商店街(中心地)に小さな菓子店がありました。
お菓子の種類はたくさんはなかったのですが、その中のロシアケーキが絶品でした。ロシアケーキだけで4~5種類はあったでしょうか。
母が独身の時分、勤め先に近かったこの店のロシアケーキを好物としていて、当時は、そうめったに買えるという余裕はなかったのだと思います。時々このお菓子を食べるのを楽しみにしていたのだそうです。
その後、このロシアケーキの美味しさは私たち子どもたちにも受け継がれ、母が買ってきたり、私が会社帰りなどに買い求めたりして、家で皆で食べていました。このお店の白い紙袋が家にあるときは、〝あのお菓子がある〟とうれしくなったものでした。

あるときから店が休みがちになり、どうやら店主であるおじいさんが体調を崩しているらしいと風の便りに聞いて、そのうち店は閉じてしまいました。そういえば、お店では、たいていおばあさんが接客をしていました。
それからは、他の店のロシアケーキを食べてみたり、似たようなものはないか探したりもしてみましたが、あの店に勝るロシアケーキはいまのところありません。
いま思えば、あれは伝統的なロシアケーキではなく、もしかしたらフランス菓子の製法も取り入れたようなそんな風体ではなかったかと思うこともあります。他のロシアケーキとは少し見た目も違っていたし、味についてもほろほろと口の中で溶けていくようなそんな食感でした。
以前、ネット販売で取り扱っていた古書「洋菓子教本 製菓の理論と実際 / 竹林やゑ子 著」によれば、ロシアケーキはしっかりと焼き込んであるようでした。

伝統的製法であれ、おじいさんが独自に作り上げたロシアケーキであれ、グラニュー糖をたっぷりと全体にまぶしたもの(これがいちばんの好物だった)、ジャムがのったものなど、どれも実に美味しかったのです。しかし、残念なことに後継者はいなかったようです。

こうして、おじいさんが作り続けたあの幻のロシアケーキの味は引継がれることなく、静かに消えていきました。

文章を書く場所

写真は、実家のある銚子の古い図書館です。
奥の敷地の建物がいまは図書館になっているので、この古い建物はまた別の使い方がされているようでした。このときは、上の階の方から、複数の女性たちの賛美歌のような歌声がやわらかに聴こえてきました。

**********

作家の人たちが文章を書いているときの様子が書かれているエッセイなど、とても興味深く読んでいます。

10分足らず電車に乗れば行けるお気に入りのホテルへ出向き、さっとシャワーを浴びてから原稿を書き始める。夕方には、お手伝いさん(昭和30年代頃の話)が冷たい紅茶の入った水筒と白蒸しパンを夜食にと届けてくれる。そして、夜通しかけて原稿を書き、ゆっくりと眠る。

そして、また別の女性作家は、朝の一番列車の汽笛の音で毎日必ず正確に目覚め、釜戸に火を起こして米を炊き、日中は畑仕事、真夜中に泣く子をおぶって机に向かい原稿を書く。そのペン先は割れて紐でしばってある。

自宅で一日中コトコトとスープを煮込んでいる間、じっくりと原稿を書く女性作家のエッセイも思い出しました。時折り、煮込み具合を見ながら、野菜を入れる順番を気にしながらペンを走らせる。
書き終える頃には、肉も野菜もトロトロのポトフの出来上がり。

私は古本屋なので、文章を書くといったらこのブログしかないのですが、書く場所はというと、市場の帰りの電車の中や、帰りがけに立ち寄ったスーパーのベンチに腰掛けて書く、といった感じです。