現代怪談考〜わたしが聞いた不思議なお話

わたしの密かな趣味のひとつに、会った人から不思議な話を聞く、というものがある。仕事で出会うひと、友達、あるいは飲み会の席などで、話が途切れた時こう切り出すのだ。
「実は自分不思議な話を集めてまして・・・」
すると大抵のひとが「いやー自分は霊感とかないから・・・」と言って笑うが、わたしは別に、幽霊を見たとか、心霊スポットに行ったとか、そんなテレビでよくやる大袈裟な話が聞きたいのではない。もっと日常のなかで出会った、時が経てばすぐ忘れてしまうような、それでいてどう説明して良いかわからない、そんな不思議な話を集めているのだ。
と、いう風に説明すると、大抵のひとが「そういえば・・・」と言って語り始める。
これがなかなか面白い。
以下にあげるエピソードは、わたしが身近なひとびとから採取した、彼ら自身が見聞した不思議な話である。忘却による欠落はあっても、わたしは聞いた話に何一つ付け加えていない。だから起承転結もなく、またオチもない。ただ「こういうことがあった」で、ストンと終わる話である。
わたしは、心霊とか、オカルトとか、そういったわたしたちが「無意識に」求める形に加工された話に一切興味がない。でもこの世の中には、わたしたちの常識という管ではアクセスできない、不思議な出来事はあると思う。
前置きはこのぐらいにして、まずはご覧いただきたい。ここから何を読み取るかは、あなた次第(笑

【鳥を操るひと】
これはわたしの写真友達から聞いた話である。名前はTさんとする。
Tさんは東高円寺あたりに住んでいて、休みの日はカメラを持って近所を散歩するのが常だった。
ある休日、その日は朝から天気も良く、Tさんはいつものようにカメラを持って散歩に出た。
杉並区の和田から中野あたりを歩いていて、あるところで屋上に上がれそうな建物を発見した。
屋上からの景色は綺麗だろうと思い、Tさんは上ってみた。
予想通り、屋上からは新宿の高層ビル群など一円が見渡せ、晴れていたせいもあって景色が良かった。

しばらくそこで写真を撮っていると、Tさんは、遠くの方に、たくさん鳥が飛んでいるのを発見した。
鳩かスズメかは分からなかったが、とにかくたくさんの鳥が、円を描いて規則正しく飛ぶように見えたという。
「これはいい」と思ってカメラを向け、よくよく見ていると、円を描いて飛んでいるたくさんの鳥の、ちょうど下の辺りにビルが建っていて、その屋上に小さな人の姿が見えた。さらによく見ると、その人は旗のついた棒のようなものを持って、空に向けて大きく円を描いて回していた。
たくさんの鳥は、その人の棒の動きに合わせて飛んでいるように見えたという。
雲ひとつない青空を背景に、屋上でゆっくり棒をふる人と、それに合わせて動くたくさんの鳥。この不思議な光景をしばらく見て、その日は帰った。Tさんは、その後何度もそこに行ってみたが、同じ光景を二度と見ることはなかったいう。

【樹海荘できいた不思議な話】
数年前、外国人の友達三人と、富士の樹海へ写真を撮りに行ったことがある。富士の樹海、正確には青木ヶ原樹海だが、言うまでもなく、自殺の名所として有名な場所だ。わたしは気が進まなかったが、フランス人の友人が是非に、というので同行した。
青木ヶ原樹海は、予想に反して、素晴らしい場所だった。手つかずの自然が豊富に残っていて、洞窟や鍾乳洞もあり、ダイナミックな自然を堪能できて楽しかった。マイクロバスで大勢観光客も来るし、別に自殺した死骸や骸骨が転がってるわけでもなく(当然だが)、富士山も間近に見れて、自然散策には売ってつけの場所だった。むしろ、これだけの自然の宝庫を、単に「自殺の名所」とするのは勿体ないと思った。

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Googleマップでみる精進湖民宿村の様子

さて、わたしたちが泊まったのは「樹海荘」という旅館だった。
樹海荘があるのは、精進湖の近くの民宿村で、Googleマップで見ると、樹海の只中にポツンと集落があるように見える。そんなことから、一時「秘境の只中に出現する謎の集落!」などと騒がれた場所だ。もちろん実際は謎の集落でもなんでもなく、ただの民宿村である。樹海荘も、清潔で、愛想の良い女将さんがいる、普通に良い旅館だった。
わたしと外人の友達三人は、一日中青木ヶ原の素晴らしい自然を堪能し、夜、樹海荘で酒を飲みながら歓談した。そこに女将さんがお茶を持ってきたので、わたしはいつものように「不思議な話を集めてるんですが・・・」と切り出してみた。「自殺の名所」と言われるほどだから、さぞや、と期待したのである(笑)

女将さんによると、樹海荘のある民宿村は、正式には「精進湖民宿村」と言い、二十戸ほどの民宿が集まっている。この民宿村の人々は、もとは精進湖の近くの村で山の仕事をしていた人たちで、あるとき集団で移住してこの民宿村を始めたそうだ。だからこの村の人たちは、みな近縁・遠縁の間柄だと言う。
そんな訳で、女将さんは長年この青木ヶ原樹海に住んでいるが、残念ながら(?)、幽霊だの心霊だのと言った話は、誰からも聞いたことがないという。「この村の人たちは、みな霊感がないんですかねー」と女将さんは笑った。実際は、そんなものなのだろう。

「ただ・・・」と言って、幽霊話とは関係ないが、最近こんな出来事があった、と女将さんは不思議な話を聞かせてくれた。それはこうである。

民宿村の人たちの多くは、副業として、樹海の浅いところで椎茸の栽培もしている。樹海の環境が、椎茸を育てるのに適しているのだそうだ。あるとき、それはほんの数年前の出来事らしいが、民宿村のある人が、樹海に椎茸を採りに行ったきり帰ってこなかった。半日が過ぎ、日が落ちるに及んで、さすがに「これは何かあった」と思い、民宿村の人々が総出で樹海を探索した。地図で見れば分かる通り、樹海はとてもつもなく広い。樹海を知悉したこの村の人たちでさえも、中で迷ってしまった人を探し出すのは困難だった。結局、その人は見つからなかった。警察にも届け出、皆が心配して待っていると、丁度いなくなってから二日目に、その人は樹海からコロっと出てきたそうだ。しかも、ボロボロの格好で。
話を聞くと、彼は案の定、樹海の中で迷ってしまったそうだ。何時間も歩き続けて、途方に暮れて切り株に座って休んでいると、夜が明ける頃、どこからともなく女の人が現れたのだと言う。それで、その女の人についていくと、今まで見たこともないような、本当に美しい樹海の景色が広がっていたそうだ。その美しい景色の中を、女の人と歩いていると、いつの間にか出てこれた、彼はそう語ったのだと言う。女将さん曰く、「まるで崖から転がり落ちたようなボロボロの格好をしたとっつぁまが、『美しい所を歩いてきた』と力説する様が可笑しかった」そうだ。そしてここが可笑しいのだが、それを聞いた民宿村の人たちは、「とっつぁまは狐に化かされたんだろう」と納得したんだそうである。

これは、「まんが日本昔ばなし」のお話ではなく、二十一世紀の現代に、わたしが実際に聞いた話である。嘘だと思うなら、樹海荘に行って女将さんに聞いてみるといい。樹海で迷って、飢えと疲労のあまり恐らくとっつぁまは幻覚を見たのだろうが、その幻覚(ヴィジョン)の内容がお伽話めいたところも可笑しいし、それを聞いて「狐に化かされた」と納得してしまう民宿村の人々も微笑ましい。
ただ、女将さんによると、「樹海の中で狐に化かされた話」は、親や親戚などからよく聞かされたと言う。そうであるからこそ、この出来事を、村の人たちは「狐に化かされた話」として素直に納得できたのだろう。まさか本当に狐が化かすとは思えないが、恐らくそうとしか表現しようのない「何か」が樹海の中では起こるのだ、そう考えてみると、ちょっとゾッとする。一体「狐」とは何か。とっつぁまは本当は何を見たのか?不思議である。

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樹海荘の女将さん。おわかりいただけただろうか。後ろに見えるのは・・・富士山である。

【絶叫する女】
これは友人のWさんから聞いた話。Wさんは、通勤で中央線を使っている。そして中央線といえば、人身事故が多い路線として有名だ。Wさんも、頻繁に人身事故に遭遇すると言う。
東京で、通勤通学の足として電車を利用する人なら、一度くらいは人身事故に出くわした経験があるだろう。わたしも一度だけある。ただ、Wさんが人身事故に出会う頻度は、ちょっと多すぎるのではないか、Wさん自身そう感じるほどだ。
Wさんが乗る電車が、人身事故を起こしたことは何度もあるし、目の前で人が飛び込むのを見たこともあるそうだ。その度に、人々が群がって轢死屍体の写真を携帯で撮る様子を、不愉快に眺めるという。
最近では、自分が乗っている電車が人身事故を起こすときは、嫌な予感を感じるほどだそうだ。

この時も、Wさんは中央線に乗っていて、阿佐ヶ谷駅あたりで嫌な予感がしたと言う。
電車は阿佐ヶ谷駅を出て、予定通り高円寺駅へと向かって滑り出した。
そして電車が高円寺に差し掛かる頃、丁度駅のホームが見える座席に座っていたWさんの目に、右から左へ立ったまま絶叫する女の姿がザァーーーーーッと通り過ぎて行った。その刹那電車は凄まじい音とともに急ブレーキをかけ、電車は止まった。
Wさんの予感通り、乗っていた電車は人身事故を起こしたのだった。
後に聞いた話では、ある女性の横に立っていた男性が、フラフラと電車に飛び込んだのだそうだ。その一部始終を見た女性は悲鳴を上げ、Wさんの目の前を右から左へ絶叫をあげながら通り過ぎて行った女は、まさにその女性であった。
この光景がしばらく脳裏から離れず、Wさんは電車に乗る度に気分が悪くなったという。

いかがだろうか。以上が、わたしが『遠野物語』の佐々木喜善よろしく、実際に見聞した人から直接聞いた不思議なお話の一部である。他にもまだあるが、長くなったので、また折をみて紹介したい。

陸奥A子先生のセプテンバー・ストーリー

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りぼん 1978年1月号 《陸奥A子 VS 沢田研二 新春アコガレ対談 掲載》

陸奥A子先生は、あまり表には出てこられない印象がありましたが、現在のお住まいの北九州で昨年、トークイベントがあったようです。そのときの様子について、参加した方の実況がこちらにあり、これまで知らなかった先生のお仕事について非常に興味深く読みました(他の方々の驚きのコメントあり)。
陸奥A子先生のウィキペディアにも記載されていますが、私物の「りぼん 1978年1月号」に、長年の大ファンだったという沢田研二との対談が掲載されています。先生は、漫画に出てくる女の子たちのように清楚でかわいらしい方です。

〝ウック!夢みたい・・・10年間もアコガレ続けていたんです!!
タイガース時代からジュリーの熱烈なファンだったA子ちゃま。長年の念願がかなって、ついにジュリーと会えたのです!〟

上記のように大きくタイトルが掲げられたこの企画。
この「新春アコガレ対談」を見て(読んで)いくと、先生がどれほど沢田研二のファンだったかがよくわかります(笑)振袖姿のかわいい先生の写真がたくさん掲載されていますので、私のように先生のファンの方は、この「りぼん 1978年1月号」を入手されることをおすすめします。

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りぼん 1977年9月号 裏表紙の広告 《だっこちゃんマークのタカラ》

子どもの頃、我が家では姉妹で月刊の『なかよし』と『りぼん』を長い間愛読していて、小学校の前にあった人気文房具店(と言っても、駄菓子・毛糸・雑誌・ふかしたての中華まんなどいろいろ販売していた)では、毎月、りぼんとなかよしの発売日になると、小学生の女子たちがお店に詰め掛けて、業者が納品に来るのを外で待っていたほどでした(笑)業者のおじさんがお店に漫画本を並べるや否や、バーゲン会場のように我先にと漫画本を手に取ったりして、本当に懐かしい思い出です。

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りぼん 1977年9月号 「セプテンバー・ストーリー / 陸奥A子」

そして、今日のブログのタイトルにもある、陸奥A子先生の〝セプテンバー・ストーリー〝という作品。このお話をかれこれ何十年も探し続けてきてようやく見つけることができました。私はずっと思い違いをしていて、この作品は本誌ではなく、付録として入っていた薄い冊子だったのだと長い間思い込んでいて、探すのに時間がかかりましたが、この「りぼん 1977年9月号」本誌の巻頭カラーページに載っていました。

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麦わら帽子をかぶり小花柄のワンピースを着たロングヘアーの女の子。まさに私の好きな陸奥A子先生の作品を象徴するような女の子。
夏風邪をひいて学校を休んでいる主人公の沙織の家に、クラスメイトの湯川くんが、沙織の好きな〝コーヒー味のアイスクリーム〟を手土産に訪れます。沙織のお母さんが、ガラスの器にコーヒーアイスクリームを盛り付けウエハースを添えて持ってきてくれるのですが、このアイスクリームは当時の高級アイスクリームのレディーボーデンだと思われます。コーヒー味はいまは廃番になっていて、これまで復刻版としては登場したことがありますが、またレギュラーメンバーとして登場してほしいと願っています。

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りぼん 1978年1月号 裏表紙の広告 《グリコ ナッチェル / CM出演:岡田奈々》

それと、お菓子つながりでもうひとつ。
さきほどの陸奥A子先生の対談の載った「りぼん 1978年1月号」の裏表紙のお菓子の広告。これは、私が当時大好きだったお菓子〝グリコ ナッチェル〟です。バタークリームを小麦胚芽いりビスケットでサンドしたお菓子で、岡田奈々がCMに出ていました。これも復刻版としてまた販売してほしいお菓子です。

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こちらは、「キノコ キノコ / みをまこと」という作品。
主人公を含め、登場人物のほとんどがキノコの漫画です。

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陸奥A子先生の作品は、大人になってから買い集めた単行本〝りぼんコミックス〟が実家に置いてあり、『こんぺい荘のフランソワ』も大好きな作品です。これからも、思い出の『りぼん』や『なかよし』を少しづつ集めたいと思っています。

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古書業界の深部〜セドリ師、ハタ師、建場、初出し屋 ②

タテバ?古紙屋さんの大元締めっさ。いわゆるちり紙交換の元締めさ。紙のゴミばみんな持って来るとよ。そこばタテバ言うとった。もー山んごと本ば積んであっさ。ゴミよ、ゴミ。そいけんそんな中で、まー汚れ仕事さ。ゴミん中で漁りようごとあって、あんまよか仕事じゃなかとさ。そいけん嫌うとこも多かったとよ。はーそいでも、やっぱ凄いのもあったけんねー、四十年代五十年代は。あん頃は家ば崩したり建て替えたり、丁度そんな時代やった。そいけんタテバば巡って、本ば集めて、どんどん東京に送ったとよ。

これは今年の三月に長崎に取材旅行に行ったとき、老舗の大正堂さんから聞いた話だ。テープから直接おこしたので長崎弁もそのままにしてある。建場(『タテバ』と読む)についてアレコレ言うより、直接行っていた人の言葉をそのまま載せたほうが信憑性がある。

わたしが建場という言葉を初めて聞いたのは、数年前、これも古書通信の取材で岩手に行ったときだ。そこで老舗の古書店さん(確か東光書店さんだった)を取材した時、もう八十近い店主さんが建場の話をされた。内容は大正堂さんと同じで、建場を巡って、いい本をたくさん集めて、東京にバンバン送ったというもの。
建場。大正堂さんの言葉にあるように、要は古紙回収業の元締め。ゴミの倉庫である。いろんな古書店さんから聞いた話を総合すると、八十年代頃までは、建場は古書店の主要な仕入れ先として、日本全国で機能していたようだ。今はどうか知らないが、昔は相当凄かったらしい。建場で見つけたお宝を、神田の市場に送ったらウン百万になった的な話は、地方の老舗古書店を取材すれば必ず出てくる。
建場。わたしはまだ行ったことはないが、なんとも興味を引かれる場所である。
古本屋は、誰かが不要になった本を、他のそれを必要としている人のもとに届ける、そういう仕事である。不要ではあるが、まだゴミではない。だけれども、そうしたリサイクル業者としての古本屋の機能を一歩進めれば、廃棄されたゴミの山(建場)からお宝を漁る、というのもアリっちゃーアリである。でもそうなると、ゴミ箱を漁るホームレスさんと、古本屋は、たいして違いがないことになってしまう(笑)恐ろしい。でも、行ってみたい・・・。

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つげ義春『無能の人』第六話「蒸発」より

話は変わるが、建場とともに、わたしの中で一種神秘化された存在として、セドリ師がある。セドリ師に関しては、少し前にネットでセドリに関するマニュアルや講習会などが盛んに宣伝されていたので、知る人も多いだろう。彼らはブックオフの100円コーナーなどで本をセドり、Amazonなどで売って利ざやを稼ぐ人だ。だがわたしの言うセドリ師は、彼らニューカマーとは別である。

これまた古書通信の取材で地方に行くと、八十年代より前は、リアルに古書業界でセドリ師なるものが暗躍(?)していたことが分かる。
今は古本が猛烈な値崩れを起こしているし、ネットの価格が日本全国隅々にまで浸透しているので、地方と東京の古書価の差は無いに等しい(むしろ今は東京の方が安かったりする)。だが、物の流通が今ほど低価格で整備されておらず、またインターネットも存在しなかった八十年代より前は、地方と東京の古書の値段は、最低でも二割程度の差があったそうだ。だからそれほどのお宝でなくても、大量に地方でセドって中央に持ってくるだけで、セドリ師は利ざやを稼げた。また、建場も機能していたので、実際に地方で掘り出し物に出くわす機会も多かった。そんな訳で、地方の古書店を取材すると、昔はお店や地元の古書催事などに、神保町の大店が雇ったセドリ師が頻繁に来ていた話がよく出る。そんな時わたしは、そのセドリ師がどんな風貌だったか。目つきは鋭かったか。無口だったか快活だったかと、しつこく尋ねるのだ(笑)
わたしがセドリ師を初めて知ったのは、つげ義春の漫画『無能の人』の中でだ。その中で、主人公の友人の半病人のような古書店主が、もとはセドリ師という設定だった。その頃からセドリ師はわたしの中で神秘化され、会ってみたい人ナンバーワンになった。実際に古書通信の編集長の樽見氏に、セドリ師を知りませんかと聞いたことがある。すでに引退しててもいいから、昔のセドリ師に会って取材してみたかったからだ。その希望はいまでもある。

以上、わたしが古書通信の取材をしてきた中で見聞した、古書業界の深部ともいうべきセドリ師、ハタ師、建場、初出し屋について、思うつくままに書いた。ハタ師に関しては、シルバーゼラチンさんを取材することで出会いが実現し、初出し屋の存在も確認できたが、建場とセドリ師に関しては取材は実現していない。
古書業界はいま、大きな変革のなかにある。もはや古書店という存在自体が社会のブラックボックスと化し、たとえ業界が今後続くとしても、昭和以前の在り方は姿を消していくだろう。セドリ師、ハタ師、建場、初出し屋といった前近代的な古物界の業者や場も、サンカやマタギのように消えていくに違いない。時代の変化といえばそれまでだが、わたしのような古き良き古書店を愛する者にとっては、ちょっと寂しい限りである。
とはいえ、この世にモノが溢れる限り、古書店のようなリサイクル業がなくなることはない。今後もいろんなお店を取材しながら、これからの古書店像を探っていきたい。
なんて無理矢理思っても無いことを書いて、忙しいのでこの文章を締めさせていただきます。(おわり)

◼︎古書業界の深部〜セドリ師、ハタ師、建場、初出し屋 ①

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西部古書会館の様子。本文と関係無いです。

古書業界の深部〜セドリ師、ハタ師、建場、初出し屋 ①

先週末は古書通信の取材や九月のもみじ市の打ち合わせで忙しく、ブログの投稿を飛ばしてしまってすみません!当ブログは自称「毎日更新!」ですが、その意味は「出来る限り!可能な限り毎日更新」ということでして。何分わたしとカミさんと3歳の息子の3人きりおりませんので、何卒ご勘弁を。

さて先週末は即売展開催中の西部古書会館でシルバーゼラチン(以下ゼラチン)さんの取材。ゼラチンさんは無店舗、無事務所という限りなく実体が無いに等しい(笑)古本屋さんなので、じゃあゼラチンさんが参加している即売展(古書愛好会)会場で取材しましょう!ということでお邪魔してきた。
実体がないに等しい、と書いたが、それは決して古本屋として実体がないという意味ではない。それどころがゼラチンさんは、極めて興味深い前職を持ち、また現在もユニークな古本(紙モノ)の仕入れ・販売方法をとっている。詳しくは次号古書通信八月号で書くが、あまりに内容豊富な取材で、どうせ本文では書ききれないので、ここで書かかせていただく。

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シルバーゼラチンさんの取り扱う紙もの。五反田古書展の目録より

話は変わるが、先日わたしの写真の方の仕事で、ある人から「フルタイムでカメラマンやってるんですか?」と聞かれたことがある。その方は或るIT企業の社長さんだったが、わたしが「古本屋もやってます」と言うと、「えっ!古本屋ですか!?」と心底驚かれた。なぜそんなに驚くのか不審に思っていると、さらにこう言われた。「僕は古本屋をやってるという人に初めて会いましたよ!」と。
なるほど。「本は死んだ」と言われて久しく、各地の商店街から街の古本屋が消えて十数年。IT企業のような社会の最前線で活躍されているプレイヤーの方から見ると、「古本屋」とは化石に等しい存在らしい。日頃同業と酒を飲み、古本好きなお客さんに囲まれていると気付かないが、どうやら古本屋はサンカマタギと同じような失われた職業になりかけているようだ(笑)

まあ失われた職業と言うと言い過ぎだが、でも社会の中核を構成するホワイトカラーの人々の意識から、古本屋という存在が消えかけているのは間違いない。わたしの友人なども、古本屋と言えばブックオフを知ってる位で、毎週末のようにやっている会館の即売展のことも、古書店が発行する目録のことも知らない。わたしにしてからが、古本屋になるまで即売展や目録の存在を知らなかったのだから当然だ。古本屋はいま、社会から「見えない職業」になりつつある。

そんな社会のブラックボックスと化している古本屋だが、古本屋という職業はそこそこ歴史が古いので、業界に入って数年ではこの仕事の生態系を掴むのは難しい。わたしはこの業界にゲソを突っ込んで二十年近くなるが、古書通信の取材をする中で見えてきた古本業界の深部がある。それが今回のタイトルの「セドリ師、ハタ師、建場(タテバ)、初(ウブ)出し屋」の存在だ。

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西部会館でのシルバーゼラチンさん(中央)。左にいるのは古書赤いドリルさん。

ゼラチンさんは、古本屋と言っても、実際はその実像が極めて掴みにくいハタ師である。ハタ師とは、独自のルートで日本各地から集めた骨董、紙モノ、古本を、業者市に売って生業にする職業のことだ。古物の産地と業者市を繋ぐハタ師に対して、業者市でモノを買ってお客さんに売る人を店師と言う。一般の人が取引するのはわたしのような店師で、セドリ師やハタ師といった業者は普通オモテに出ない。また業者と言っても、古物の極めて前近代的な職業なので、免許もなければ流通ルートも公開されておらず、その実態は謎である。
詳しくは古書通信で書くが、ゼラチンさんは誰から教わるでもなく、独自にルートを開拓してハタ師となった。最初は近所の骨董屋から引っ張った出物を、知り合いの古本屋を通して神田の市場に売っていたが、次第に本格的になり、いまは東北から静岡辺りまでの初出し屋(『ウブだしや』と読む)から紙モノや古本を仕入れて、市場やネット、即売展で売っている。初出し屋は、別名を蔵出し屋、またごく一部ではツボ出し屋とも呼ばれる、いわば骨董、古物全般の買取専門業者のことだ。買取業者といっても、ブックオフのように看板を掲げて店をやっているわけではない。また東京にはほとんど初出し屋はおらず、主に東北や九州など田舎に多いと聞く。実態は看板などない普通の家で、口利きがなければ出入りを許されない。
彼らは独自の嗅覚で、旧家の蔵などを狙い、ときには数年もかけて人間関係を築き、掘り出しモノを買う。所有者から直接買った古物をわれわれの世界では「ウブ出し品」というが、まさに初出し屋はウブい品を狙って買い取る業者だ。それをゼラチンさんのようなハタ師、骨董屋などに売るのである。初出し屋が手に入れるものには、学術的な価値があるものや、ときには数千万もの値打ちがある品も含まれる。ゼラチンさんからいろんな興味深い話を聞いたが、それはブログではもちろん、古書通信でも書けない。あくまで人から人、手から手へと伝わる、部外者の安易な覗き見を許さない隠された世界なのだ。

長くなったので次に続きます。