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古本街道をゆく三「長崎・ふるほん太郎舎(後編)」

さて今回も引き続き長崎のふるほん太郎舎さん。前回の投稿と合わせてお読みいただきたい。

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八万冊のネット在庫が収まる太郎舎さんの倉庫の一部

太郎舎さんから伺ったエピソードで、とても心に残った話を、備忘のためにここに記しておく。
それは文芸評論家で、二〇十一年に亡くなられた故谷沢永一が、阪神・淡路大震災で被災した時の話。蔵書家として有名な谷沢は、自宅の書庫に十六万冊(!)もの蔵書を収めていた。だが大震災で被災し、書庫は滅茶苦茶になってしまった。もはや回復不可能なまでに散乱した書庫の惨状を見て谷沢は
「或る本が書庫のどこかにある筈だ、というていたらくでは持っていないに等しい。蔵書のイノチは分類である」
と断じて、すべての蔵書を処分したという。
このエピソードに続けて、太郎舎さんはこう語った。
「本は分類が命で、秩序を失った本に価値はない。この話は、古本屋として考えさせられるよね。
今は本の価値がどんどん下がっている時代。ウチで扱う本も、市場で一山ナンボで落としたものばかり。そんな本も、丁寧に分類し、秩序を与えてネットにアップすれば、全国のどこかから注文が来て、また売れていく。結局古本屋の仕事って、本に秩序を与えることなんじゃないかな」。
長崎大学前で三十年古本屋を経営し、二〇十一年からネット販売専門になった太郎舎さん。従業員は雇わず、奥さんと二人で打ち込んだ在庫の数はおよそ八万冊。その秩序付けられた、膨大な古本の倉庫で太郎舎さんが語ったこの言葉に、私は感じ入ってしまった・・・。

取材を終え、私と家族が泊まる長崎市内のホテルまで、太郎舎さんが車で送ってくれることになった。二時間弱の取材の間にも本の注文がたまっていたらしく、倉庫で一抱えほどの本を抜き取り、配送処理をする太郎舎さん。帰りの車の中で、話は自然と家族のことに及んだ。そこで太郎舎さんの奥さんに関する、とても面白い話を伺った。

注文品を抜き出し中の太郎舎さん

太郎舎さんの奥さんは、日系ブラジル人である。だが時々お茶菓子などを出しに来るその人は、「ブラジル」という言葉の印象とは程遠い、純和風の、控えめな、可愛い感じのする方だった。
実はこの奥さん、不覚にも名前を聞きそびれたが、「今村」出身なのである。
「今村」でピンとくる方はかなりの歴史マニアだ。
今村。正確には「福岡県三井郡大刀洗町大字今」。福岡では珍しい隠れキリシタン(切支丹)の村である。
私の両親は佐賀県鳥栖市の生まれだが、今村の存在は知っていた。筑後平野の田園風景のど真ん中に、突如ロマネスク様式のカトリック教会がそびえ立つことで、付近では有名だ。その教会は今村教会堂といい、県の有形指定文化財である。竣工は大正二年。設計は明治から昭和にかけて、数々の教会堂の建築に携わった鉄川与助である。

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Googleマップで見る今村教会堂

隠れキリシタンは長崎が有名だが、正確には日本各地に存在した。大阪や兵庫、東北の岩手にも隠れキリシタンの里はあった。福岡の今村もその一つだ。そして今村のように、平野部のど真ん中で、二百戸ものキリシタンが二百八十年以上存続した例は世界的にも珍しい。当然、秀吉以来の我が国のキリスト教禁制下では、彼らは異教徒であり、異端の村として周囲から忌み嫌われた。明治になってキリスト教の禁令は解除されるが、その後も長く差別は残り、昭和になっても今村には食べ物屋や商店など一軒もなかったという。済州島の人々が日本に渡り、コルシカ島の者がアメリカに渡ったように、差別を受ける地域の人々が海外に新天地を求める例は少なくない。今村の人々も、根強い差別によって我が国での将来を奪われ、多くの者が明治四十一年から始まる移民としてブラジルへ渡った。当初バラ色を謳われたブラジルへの移住であったが、実際は奴隷労働と大差なく、故郷から遠く離れた地で彼らが過酷な体験をしたことは有名だ。この辺の話は佐藤早苗著の『奇跡の村 隠れキリシタンの里・今村』(河出書房新社)に詳しい。長い余談だが、この今村からブラジルへ移住した子孫の一人が、太郎舎さんの奥さんなのであった。

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ブラジル移民を促す海外興業株式会社のポスター

様々な思いを抱きながら、私の長崎での「古本街道をゆく」旅は続く・・・。

古本街道をゆく二「長崎・ふるほん太郎舎(前編)」


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古本街道をゆく二「長崎・ふるほん太郎舎(前編)」

幾つかの大手雑誌で年に数回「おしゃれ古本屋特集」が組まれている。聞く所によると、おしゃれ本屋や古本屋の特集号は部数が伸びるのだとか。その割に古書業界に一向景気回復の兆しも見えぬのはどういう訳だろう。みな古本屋を見るのは好きでも、行くまでには及ばない、という事か。ともあれ業界受けのするおしゃれで個性的な古本屋がそうたくさんある訳ではないから、畢竟掲載されるお店も限られ、一部の有名店が繰り返し紹介されるに至っては、「個性的」と銘打ちながら紙面自体はマンネリとの感が拭えない。

一方私が『日本古書通信』の取材で各地に行くと、この道何十年のベテラン古書店でありながら、雑誌の取材は初めて、と言われる事が少なくない。或る地方の老舗古書店さんは、以前掲載された紙媒体として、十年以上前の学級新聞を奥から引っ張り出してくれた。それは社会科見学で地元小学生の取材を受けたものだった。

面白いのは、こうしたマスメディアの世界で「存在しない」も同然に扱われているお店の中に、高い「ふるほんや力」を持つ店が少なくないことだ。「ふるほんや力」とは私が考えた造語で、「古本屋をやっていく覚悟」「失われていく本に対する愛情や知識」「古本をお客さんの元に届けるという職業的使命感」そして何より「古本を売る力=経済力」。この四つの指標を総合的に言い表したものが「ふるほんや力」だ。『日本古書通信』の四年間の取材の中で、メディアでの知名度は皆無でありながら、「ふるほんや力」で私など到底足元にも及ばぬ古書店さんに何度も出会った。今回長崎で取材したふるほん太郎舎さんも、そうした高い「ふるほんや力」を持つ古書店のひとつだ。

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太郎舎さんの事務所兼倉庫。

土地勘がないから上手く描写できないが、長崎の中心部から車で四十分ほど走った山の中に、ふるほん太郎舎さんの自宅兼事務所はあった。事前に連絡すれば誰でも行けるので、是非行ってみてほしい。訪れた者は、こんな辺鄙な山の中(失礼!)で、宝の山に出くわすだろう。一階が事務所兼倉庫で二階が自宅となっているその一階部分は、天井が高く奥行きのある造り。そこに高さ二メートルはある書架が幾重にも列をなし、店主の平坂桂太氏によると八万冊の古本がギッシリ詰まっている。すべてAmazonや日本の古本屋、スーパー源氏といったオンラインで販売されている在庫だ。詳しくは今月発売の『日本古書通信・五月号』をご覧頂きたい。今月号の私の連載「21世紀古書店の肖像 vol.52」でふるほん太郎舎さんを紹介させて頂いている。店主さんの写真も、このブログではアウトテイクを載せているが、かなりカッコイイ写真(店主さんがダンディだったせいもある)が掲載されている。

とにかく私は、ふるほん太郎舎さんに、衝撃を受けてしまった。東京は、古本屋をやるのに、確かに恵まれた場所だ。だが恵まれすぎて、見落としてしまう真実もある。その事を、長崎の山奥で太郎舎さんに教えられた気がする。その啓示の何たるかは、今後のウチの店の活動で実践していけたら・・・。

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仕事場にいます→

(後編へ続く)