先週末は古書通信の取材や九月のもみじ市の打ち合わせで忙しく、ブログの投稿を飛ばしてしまってすみません!当ブログは自称「毎日更新!」ですが、その意味は「出来る限り!可能な限り毎日更新」ということでして。何分わたしとカミさんと3歳の息子の3人きりおりませんので、何卒ご勘弁を。
さて先週末は即売展開催中の西部古書会館でシルバーゼラチン(以下ゼラチン)さんの取材。ゼラチンさんは無店舗、無事務所という限りなく実体が無いに等しい(笑)古本屋さんなので、じゃあゼラチンさんが参加している即売展(古書愛好会)会場で取材しましょう!ということでお邪魔してきた。
実体がないに等しい、と書いたが、それは決して古本屋として実体がないという意味ではない。それどころがゼラチンさんは、極めて興味深い前職を持ち、また現在もユニークな古本(紙モノ)の仕入れ・販売方法をとっている。詳しくは次号古書通信八月号で書くが、あまりに内容豊富な取材で、どうせ本文では書ききれないので、ここで書かかせていただく。
話は変わるが、先日わたしの写真の方の仕事で、ある人から「フルタイムでカメラマンやってるんですか?」と聞かれたことがある。その方は或るIT企業の社長さんだったが、わたしが「古本屋もやってます」と言うと、「えっ!古本屋ですか!?」と心底驚かれた。なぜそんなに驚くのか不審に思っていると、さらにこう言われた。「僕は古本屋をやってるという人に初めて会いましたよ!」と。
なるほど。「本は死んだ」と言われて久しく、各地の商店街から街の古本屋が消えて十数年。IT企業のような社会の最前線で活躍されているプレイヤーの方から見ると、「古本屋」とは化石に等しい存在らしい。日頃同業と酒を飲み、古本好きなお客さんに囲まれていると気付かないが、どうやら古本屋はサンカやマタギと同じような失われた職業になりかけているようだ(笑)
まあ失われた職業と言うと言い過ぎだが、でも社会の中核を構成するホワイトカラーの人々の意識から、古本屋という存在が消えかけているのは間違いない。わたしの友人なども、古本屋と言えばブックオフを知ってる位で、毎週末のようにやっている会館の即売展のことも、古書店が発行する目録のことも知らない。わたしにしてからが、古本屋になるまで即売展や目録の存在を知らなかったのだから当然だ。古本屋はいま、社会から「見えない職業」になりつつある。
そんな社会のブラックボックスと化している古本屋だが、古本屋という職業はそこそこ歴史が古いので、業界に入って数年ではこの仕事の生態系を掴むのは難しい。わたしはこの業界にゲソを突っ込んで二十年近くなるが、古書通信の取材をする中で見えてきた古本業界の深部がある。それが今回のタイトルの「セドリ師、ハタ師、建場(タテバ)、初(ウブ)出し屋」の存在だ。
ゼラチンさんは、古本屋と言っても、実際はその実像が極めて掴みにくいハタ師である。ハタ師とは、独自のルートで日本各地から集めた骨董、紙モノ、古本を、業者市に売って生業にする職業のことだ。古物の産地と業者市を繋ぐハタ師に対して、業者市でモノを買ってお客さんに売る人を店師と言う。一般の人が取引するのはわたしのような店師で、セドリ師やハタ師といった業者は普通オモテに出ない。また業者と言っても、古物の極めて前近代的な職業なので、免許もなければ流通ルートも公開されておらず、その実態は謎である。
詳しくは古書通信で書くが、ゼラチンさんは誰から教わるでもなく、独自にルートを開拓してハタ師となった。最初は近所の骨董屋から引っ張った出物を、知り合いの古本屋を通して神田の市場に売っていたが、次第に本格的になり、いまは東北から静岡辺りまでの初出し屋(『ウブだしや』と読む)から紙モノや古本を仕入れて、市場やネット、即売展で売っている。初出し屋は、別名を蔵出し屋、またごく一部ではツボ出し屋とも呼ばれる、いわば骨董、古物全般の買取専門業者のことだ。買取業者といっても、ブックオフのように看板を掲げて店をやっているわけではない。また東京にはほとんど初出し屋はおらず、主に東北や九州など田舎に多いと聞く。実態は看板などない普通の家で、口利きがなければ出入りを許されない。
彼らは独自の嗅覚で、旧家の蔵などを狙い、ときには数年もかけて人間関係を築き、掘り出しモノを買う。所有者から直接買った古物をわれわれの世界では「ウブ出し品」というが、まさに初出し屋はウブい品を狙って買い取る業者だ。それをゼラチンさんのようなハタ師、骨董屋などに売るのである。初出し屋が手に入れるものには、学術的な価値があるものや、ときには数千万もの値打ちがある品も含まれる。ゼラチンさんからいろんな興味深い話を聞いたが、それはブログではもちろん、古書通信でも書けない。あくまで人から人、手から手へと伝わる、部外者の安易な覗き見を許さない隠された世界なのだ。
長くなったので次に続きます。